「えっ、そこって事故物件じゃないの?」「そんなところ、よく住めるね…」
そう言われたことが、実は何度かあります。でも私にとっては、事故物件かどうかなんて、正直そこまで大きな問題じゃないんです。もちろん、事件や事故で誰かが亡くなった部屋に何も感じないと言ったら嘘になるかもしれません。でも、それよりももっと大切にしている視点があります。それは、「この場所が今の自分にとって本当に悪影響を与えるのか?」ということ。
世の中には、事故物件だからといって避けられ、相場より安くなっている物件がたくさんあります。でも、見方を変えればそれは“掘り出し物”かもしれない。霊的な不安やイメージでチャンスを逃すより、冷静に「何が本当の問題なのか」を考えた方が、人生はうまく回っていくと思うのです。
この記事では、なぜ私が事故物件を気にしないのか、その理由をいくつかの視点からご紹介していきます。霊やスピリチュアルに関心がある人にも、ちょっと現実的な視点を取り入れるきっかけになるかもしれません。
「事故物件ってやっぱり怖くない?」って聞かれることがあるんですが、正直に言ってしまうと、私はまったく気にしません。むしろ「そこを気にするのって、ちょっとナンセンスじゃない?」と思ってしまうくらいなんです。なぜなら、人は毎日のように、そして至るところで亡くなっているからです。
日本では年間およそ140万人もの人が亡くなっていて、その中には老衰だけでなく、病気、事故、自殺、他殺……さまざまな理由があります。そしてその“死”は、家の中だけでなく、公園、ビル、電車、山道、時にはあなたが今いるその場所にも潜んでいます。たとえば、近所のマンションの何階かで孤独死があったとしても、それを知らなければ何の影響もないまま生活している人はたくさんいます。つまり、事故物件かどうかを気にするかどうかは、自分の「知ってしまった情報」による思い込みにすぎないんですよね。
これはいわば「逆プラシーボ効果」に近いものだと思っています。たとえば、「この部屋で自殺があった」と聞いた瞬間に、「なんかイヤな感じがする」と思ってしまう。でも実際は、その“感じ”はあなたの頭の中だけで作られたものです。知らなければ普通に暮らせたのに、知ったことで無理やり心が「これは怖い場所」と決めつけてしまう。情報が先に心を支配してしまうんです。
もっといえば、これは「逆引き寄せの法則」とも言えるかもしれません。「ここは事故物件だから運気が下がる」「うまくいかない気がする」と思い込めば、そういう現象ばかりが目につくようになります。逆に「ここでも自分はうまくやれる」「むしろ安く借りられてラッキー」と思えば、いい流れはどんどん自分に向かってくる。
結局のところ、どんな環境にいても人生を前向きに切り開く人はいます。戦後の焼け野原の中から立ち上がった人たちを思い出してみてください。誰もが豊かな環境にいたわけじゃないけど、自分の心と行動で未来を変えていった。つまり、事故物件がどうとかじゃなくて、人生がうまくいくかどうかは「どんな目で世界を見るか」次第なんです。
「事故物件って、やっぱり霊が出たりするんじゃない?」なんて心配されることがあります。確かに、そういう話って昔からたくさんありますよね。怪談とか心霊番組とか、そういうのが好きな人も多いから、事故物件に対して「何か見えちゃうかも」って不安になる気持ちはわかります。でも、私が事故物件を気にしない理由は、ほとんどの現象が科学的、つまり物理的に説明できるものばかりだからです。
まず、私たちが「おばけを見た!」と感じるとき、多くの場合は脳の錯覚なんです。たとえば、睡眠不足でぼーっとしているとき、酔っ払っているとき、ストレスがたまっているとき、視界の端に“何か”を感じることってありますよね。でもその“何か”って、実際には光の反射だったり、家具の影だったり、風で動いたカーテンだったり。脳はそれを勝手に「人影」とか「気配」として処理してしまう。これは心理学でもちゃんと研究されていて、人間の脳は“意味のないものに意味を与えたがる”性質があると言われています。
さらに、「幽霊が見える」と言われる体験の中には、医学的な説明ができるケースもあります。その代表的なものが統合失調症という精神疾患です。これは、幻聴や幻視など、現実には存在しないものを知覚してしまう症状が出る病気で、決して「怖い人」とか「ヤバい人」ではなく、脳内のドーパミンの伝達に異常があることで引き起こされるれっきとした医療対象の症状です。病気であるがゆえに、薬やカウンセリングでコントロールすることができますし、患者さん本人はとても苦しんでいます。もし本当に「見える」体験があるなら、まずは医学的な視点からの理解が必要なのです。
それに加えて、幻覚を見るもう一つの大きな原因は、外的な物質の影響です。アルコールを大量に摂取したときや、薬物を使用したとき、脳の感覚処理が大きく乱れることがあります。これによって、まるでそこに人がいるような錯覚に陥ることがある。つまり「見えた!」という体験の多くは、自分の状態や環境に左右されているに過ぎないのです。
たとえば、ある人が「この事故物件で夜中にうめき声が聞こえた!」と騒いでいたとしても、それが本当に何かの霊的存在とは限りません。エアコンの配管の振動だったり、隣の部屋の音が壁越しに響いていただけかもしれない。そういったことって、実際に生活してみるとよくあるんですよね。でも一度「ここは事故物件だから何かあるかも…」と脳が思い込むと、すべてが“怪奇現象”として処理されてしまう。それこそが思い込みの罠です。
事故物件がなぜ“怖い”と思われているのか。その根本には、多くの人が「霊は悪いものだ」という前提を無意識に持っているからだと思うんです。でも、私はその考え自体にちょっと違和感を持っています。そもそも、幽霊って本当に悪い存在なんでしょうか?そして、幽霊に私たちの人生を狂わせるほどの“力”が本当にあるのでしょうか?
たとえば、家で誰かが亡くなったという事実があるとしても、それだけでその場に悪意のある何かが“残る”という考え方って、ある意味ちょっと傲慢というか、思い込みが先行している気がします。人が亡くなるってこと自体は、この世界のどこかで毎日起きている当たり前の自然現象のひとつであって、それが即「霊が出る」「不幸になる」と結びつく理由はどこにもありません。なのに、「ここは事故物件だから悪いエネルギーがある」なんて言われると、まるでその人の人生が“負”の象徴として扱われているようで、私はちょっと違和感を感じてしまうのです。
もし本当に霊という存在があるとして、そして仮にそこにまだ“想い”のようなものが残っているとしても、それって別に「人を呪ってやろう」とか「この家に住む人を不幸にしよう」なんて思っているわけではないと思うんです。むしろ、大切な人を残して逝ってしまった寂しさだったり、未練だったり、そういった“人間らしさ”の延長線上にあるだけじゃないでしょうか。そう考えると、**幽霊=悪いもの、怖いものという発想そのものが、ちょっとドラマやオカルト映画に影響されすぎてるんじゃない?**って思うわけです。
それにね、冷静に考えてみてください。私たちが「神様」でさえも人生を左右してくれないと感じることがあるこの世界で、どうして幽霊にだけ、そんな絶大なパワーがあるって信じてしまうんでしょう?交通事故に遭っても「運が悪かったな」で終わるのに、電気が勝手に消えたら「これは霊の仕業だ!」ってなってしまう。それって本当に、論理的な思考でしょうか?
結局のところ、人生がうまくいくかどうかは自分の考え方と行動次第です。仮に少し気味が悪い出来事が起きたとしても、「ああ、今日は疲れてるのかもな」と受け流せる人と、「やっぱり事故物件だから呪われてるんだ!」とパニックになる人では、その後の人生の質が全然変わってきます。つまり、霊の問題じゃなくて、それをどう受け取るかという自分の心のフィルターの問題なんです。
私が事故物件をまったく気にしない理由のひとつに、「人生を本当にダメにするのは、物件じゃなくてマインドの方だ」という考えがあります。どんなに良い立地で、どれだけ風水的に完璧な家に住んでいたとしても、心の中がネガティブでいっぱいだったら、結局そこは“住みにくい場所”になります。逆に言えば、たとえ事故物件だったとしても、ポジティブな視点と柔軟な思考があれば、そこは「自分だけの快適空間」になり得るんです。
多くの人は、霊的な何かがあるんじゃないかとか、不運が連鎖するんじゃないかとか、そういった“見えない不安”を事故物件に投影します。でも考えてみてください。不幸って、事故物件に住んだことが原因で起きるわけじゃないんですよね。実際は、その人の思考パターンや心のあり方が引き寄せるものなんです。マインドが「これは良くない場所だ」と思い込めば、どんな出来事も悪い兆候として受け取ってしまう。小さなトラブルでさえ、「やっぱりこの部屋は呪われてるのかも…」と結びつけてしまう。そしてその恐怖や不安に飲み込まれて、冷静な判断もできなくなり、どんどんマイナスのスパイラルに陥っていく。まさに“マインドが人生を破壊する”という典型です。
一方で、事故物件であっても「これは運良く相場より安く手に入ったラッキー物件だ」と考える人もいます。そういう人は、気にせず自分らしく生活し、むしろ浮いたお金で新しい趣味を始めたり、旅行に行ったり、前向きな循環を生み出している。つまり、事故物件がどうこうじゃなくて、どう考えるか、どう受け取るか、が人生を左右しているということなんです。
霊的な現象に頼って人生の不調を説明しようとするより、まず自分のマインドを見つめ直した方がよっぽど建設的です。もし毎日「どうせ自分なんてうまくいかない」と思っていれば、それが事故物件であろうと、最新のタワーマンションであろうと、人生はどこかでつまずきます。逆に、「何があっても乗り越えられる」「ここで自分は新しいスタートを切るんだ」と信じて行動すれば、自然と周りの状況も整っていきます。
事故物件って聞くと、まず真っ先に「そこ、霊とか出るのかな?」って思ってしまう人、多いんじゃないでしょうか。でも、私に言わせれば、霊的なものよりもずっと重要なのは「風水」なんです。事故物件かどうかより、その場所にどんなエネルギーの流れがあるか、住む人の心身にどんな影響を与えるか、そっちの方がよっぽどリアルに日々の生活に直結してくると思っています。
まず、霊的現象って多くの場合、錯覚や心理状態の影響によるものがほとんどです。脳の情報処理のクセだったり、疲れていたり、ストレスが溜まっていたりすると、人は本当に“何もないところ”に意味を感じてしまうんですね。だから、事故物件だからといって「霊が出る」と決めつけるのは、正直ちょっと早計かなと。実際、多くの人が事故物件に住んでいることに気づかず普通に生活していますし、それで特に不幸になっているわけでもない。
一方で、風水はもっと現実的な考え方です。「風水=スピリチュアル」と思われがちですが、私からすれば、風水とは環境と人間の関係を観察して得られた経験則の集積、つまり「環境心理学」に近い部分があると思っています。たとえば、日当たりの悪い部屋にずっといると気分が沈みやすくなったり、部屋の中がごちゃごちゃしていると集中力が落ちたりしますよね。逆に、明るくて風通しが良くて、整理整頓された空間にいると、それだけで「なんか今日は気分がいいな」ってなる。この違いが積み重なって、生活の質や運気を大きく左右するんです。
実際、北欧など日照時間の短い地域では、冬季うつ病(季節性情動障害)になる人が多いというデータもありますし、照明の色や家具の配置がメンタルヘルスに影響を与えるという研究もある。風水って、単なる迷信じゃなく、人間が自然や空間から無意識に受け取っているエネルギーやリズムを読み解く知恵とも言えるんですよね。
だから、事故物件かどうかに過剰に敏感になるより、その場所が風水的に良いかどうか、もっと言えば「自分にとって居心地が良いかどうか」を重視した方が、人生は断然うまく回っていきます。もし事故物件だとしても、採光が良くて、風が抜けて、静かで落ち着く空間なら、むしろ「ラッキーな物件」かもしれない。逆に、どれだけ築浅の高層マンションでも、日当たりが悪くて閉塞感がある部屋だったら、運気どころか体調まで崩れるかもしれません。
「事故物件=怖い」「運気が下がる」「何か悪いことが起きそう」
そんなイメージがつきまとう事故物件ですが、実際のところ、人生に大きく影響を与えるのは“物件そのもの”ではなく、“それをどう捉えるか”という自分自身のマインドです。そして、実は見えない霊よりも、見える要素──風通しや日当たり、部屋の色、空間の使い方──の方が、ずっとリアルに心と体に作用しているものです。
私は、「事故物件 気にしない」という姿勢は、ただの強がりや無関心ではなく、もっと本質的な“暮らしの軸”にフォーカスした考え方だと思っています。周囲の情報や世間のイメージに振り回されず、自分の感覚と論理、そして前向きなマインドを大切にすること。そうすれば、たとえ事故物件だったとしても、その場所はきっとあなたの“幸運のスタート地点”になるはずです。
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