• 投稿更新日:2025/03/22

「革労協元幹部内ゲバ殺人事件」に関する事件・事故物件の住所はどこ??

事件・事故物件の場所・住所はどこ?

住所:埼玉県川口市
発生日時:1986/06/25

事件事故に関する詳細

革労協元幹部内ゲバ殺人事件は、1989年6月25日、埼玉県川口市で発生した内ゲバ(内部抗争)による殺人事件です。​被害者は、革命的労働者協会(革労協)狭間派の元幹部であった永井啓之氏で、同派内の路線対立が背景にありました。

事件の背景

1986年頃から、革労協狭間派内部で路線対立が激化しました。​狭間嘉明氏が率いる武闘派路線のグループと、永井啓之氏が率いる穏健派路線のグループとの間で意見の相違が深まりました。​成田空港問題においても、狭間グループは北原派を支持し、永井グループは小川派を支持するなど、対立は深刻化していました。

約2年間の内部闘争の結果、永井氏は1988年1月21日に「同志を権力に売り渡した」などの理由で除名されました。​しかし、彼の影響力は依然として残っており、1989年4月には独自の機関紙を発行するなど、分派活動を開始していました。

事件の概要

1989年6月25日午前3時30分頃、永井氏の住む埼玉県川口市のアパートに、黒いヘルメットを被った6〜7人の人物が梯子を使ってベランダから侵入し、就寝中の永井氏を寝袋に押し込んで拉致しました。​犯行時には周辺の電話線を切断するなど、周到な準備が行われていました。

同日午前11時頃、永井氏は自宅から約40キロ離れた茨城県牛久市のトンネル内で、寝袋に入れられ、ビニールシートに包まれた状態で遺体となって発見されました。​全身を鈍器で激しく殴打され、顔の判別が困難なほどの損傷を受けていました。​司法解剖の結果、死亡推定時刻は午前5時頃で、胸や腹部を強打されたことによる外傷性ショック死と判明しました。

事件後の影響

6月28日、革労協狭間派は記者会見を開き、拉致と内部抗争によるリンチを認めましたが、殺意は否定しました。​この事件により、革労協狭間派内に残っていた反狭間グループは次々と集団脱退し、組織の分裂が進みました。

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